保存活用に向けての活動計画:活動2についての補足
先日ブログ開設に合わせて立て続けに記事を載せた中に千葉県立中央図書館の保存活用に向けて検討している活動計画について書きました。
そのことについていくらか補足しておきたいというのが、これをを含む一連の記事です。
現状では差し当たって5つの取り組みを示していますが、保存活用の検討において実質上の課題は
2.「千葉文化の森」の計画推移と千葉の文教都市景観形成に関する歴史的研究
3.「プレグリッド・システム」の構造解析と耐震改修方法の検討
4.千葉県立中央図書館の活用方法の提案
の3つです。
ここでは、2.「千葉文化の森」の計画推移と千葉の文教都市景観形成に関する歴史的研究 について補足的に述べたいと思います。
千葉県立中央図書館は既に建築家・大髙正人の設計であり、加えて構造家・木村俊彦が考案した「プレグリッド・システム」の技術的革新性の評価から戦後モダニズム建築を代表する建築として既に多くが語られてきています。
要するに建築界(その中のニッチな歴史分野において特に)においては高名な存在で、建築史家のハシクレとしては、将来的には重要文化財に指定されるだけのポテンシャルのある重要な建築であると考えています。
多く保存活動が行われる場合には、こうした建築的な評価でもって保存することの重要性が主張されるわけですが、作品主義的性格の強い説明に終始していることも少なくありません。
もとい建築という「世界」にあれば、これで説明は十分なのですが…現実的には様々な状況や条件が取り巻く中で一面的な(偏ったとも映るであろう)見方では、
理屈はわかっても状況や条件を解消するものではなく、建設的でないからには顧みる必然性にも欠くというところなのでしょう。
上記した3つの取り組みは異なるアプローチから、基本としては建設的に検討し得るだけの材料を作成して、前向きに取り扱っていただけるのであれば…というところに立脚しています。
もっとも材料が準備出来た段階で既に解体が決まってしまっているということもあるでしょうし、
県立図書館という大規模施設が相手ですから、一部の声に耳を傾けるより、県民という多くの声なき声も意識せざるを得ない性格もあるはずです(例えば、新国立競技場のような…)。
建築史上において重要な建築として評価されている千葉県立中央図書館について保存活用を検討して得られた内容そのものには
後世にとって有益な知見になることは間違いなく、保存活用の結果がどうなろうとも学術には十分な意義を持ちますので、どうあれ取り組むだけの価値はあるだろうと考えています。
もっとも動機は千葉県立中央図書館は未来に継承すべき建築であるというところにありますから、これが保存活用に結び付いてくれることが望ましくはあるのですが。
話題が少し広がってしまいました。
ここで元々書いてきたのこと 2.「千葉文化の森」の計画推移と千葉の文教都市景観形成に関する歴史的研究 のことに話を戻します。
有名建築家の作品が全て名作とは限らない
これは10年近く前に米子市公会堂(鳥取県米子市 1958年)の保存活動に関わっていた時にいただいた指摘です。
米子市公会堂はこれまた名建築家の村野藤吾の設計によるものですが、その存続する意義を説明した際における、いわゆる作品主義的性格を諌められた教示でした。
全国的な知名度や学術的価値があっても、それを長期的に保存活用していく実質的な面倒を見続けるのは、その建築が建つ「地域」に他なりません。
だからこそ、その地域にとってどのような意味をもつ建築であるかも見なければならない、加えていえばその価値こそ重要である、そういう趣意として受け止めるものでした。
ただ、幸いに米子市公会堂はとても恵まれた存在で、市民としてここで暮らしていれば必ず1度はこのステージに立ったことがあるという思い出が凝縮されたのような存在といえる建築で…
図らずも市民団体の盛り上がりに助けられて、最終的には市長と市議の英断もあって保存に至っています。
先頃訪ねる機会があってしばらくぶりに見築してきましたが、この時も広場で夏祭りが催されていて、またこうして次世代に「思い出」が受け継がれていくのだなと思って感慨深く感じました。
千葉県立中央図書館は、既に十分ともいえる建築的な評価を受けていますが、
だからこそ、千葉県立文化会館・聖賢堂(さらには千葉市郷土博物館も含んで)からなる特徴的な文教都市景観である「千葉文化の森」が、その成り立ちから今日までにおいて千葉の地においてどのような役割を果たしてきたかの歴史を紐解き、
これをもって既に知られてきた建築的な評価と合わせて総合的に千葉県立中央図書館の歴史的・文化的な価値をまとめたいと考えています。
いささか長くなってしまいましたが、次の記事では 3.「プレグリッド・システム」の構造解析と耐震改修方法の検討 のことについて取り上げて述べたいと思います。
そのことについていくらか補足しておきたいというのが、これをを含む一連の記事です。
現状では差し当たって5つの取り組みを示していますが、保存活用の検討において実質上の課題は
2.「千葉文化の森」の計画推移と千葉の文教都市景観形成に関する歴史的研究
3.「プレグリッド・システム」の構造解析と耐震改修方法の検討
4.千葉県立中央図書館の活用方法の提案
の3つです。
ここでは、2.「千葉文化の森」の計画推移と千葉の文教都市景観形成に関する歴史的研究 について補足的に述べたいと思います。
千葉県立中央図書館は既に建築家・大髙正人の設計であり、加えて構造家・木村俊彦が考案した「プレグリッド・システム」の技術的革新性の評価から戦後モダニズム建築を代表する建築として既に多くが語られてきています。
要するに建築界(その中のニッチな歴史分野において特に)においては高名な存在で、建築史家のハシクレとしては、将来的には重要文化財に指定されるだけのポテンシャルのある重要な建築であると考えています。
多く保存活動が行われる場合には、こうした建築的な評価でもって保存することの重要性が主張されるわけですが、作品主義的性格の強い説明に終始していることも少なくありません。
もとい建築という「世界」にあれば、これで説明は十分なのですが…現実的には様々な状況や条件が取り巻く中で一面的な(偏ったとも映るであろう)見方では、
理屈はわかっても状況や条件を解消するものではなく、建設的でないからには顧みる必然性にも欠くというところなのでしょう。
上記した3つの取り組みは異なるアプローチから、基本としては建設的に検討し得るだけの材料を作成して、前向きに取り扱っていただけるのであれば…というところに立脚しています。
もっとも材料が準備出来た段階で既に解体が決まってしまっているということもあるでしょうし、
県立図書館という大規模施設が相手ですから、一部の声に耳を傾けるより、県民という多くの声なき声も意識せざるを得ない性格もあるはずです(例えば、新国立競技場のような…)。
建築史上において重要な建築として評価されている千葉県立中央図書館について保存活用を検討して得られた内容そのものには
後世にとって有益な知見になることは間違いなく、保存活用の結果がどうなろうとも学術には十分な意義を持ちますので、どうあれ取り組むだけの価値はあるだろうと考えています。
もっとも動機は千葉県立中央図書館は未来に継承すべき建築であるというところにありますから、これが保存活用に結び付いてくれることが望ましくはあるのですが。
話題が少し広がってしまいました。
ここで元々書いてきたのこと 2.「千葉文化の森」の計画推移と千葉の文教都市景観形成に関する歴史的研究 のことに話を戻します。
有名建築家の作品が全て名作とは限らない
これは10年近く前に米子市公会堂(鳥取県米子市 1958年)の保存活動に関わっていた時にいただいた指摘です。
米子市公会堂はこれまた名建築家の村野藤吾の設計によるものですが、その存続する意義を説明した際における、いわゆる作品主義的性格を諌められた教示でした。
全国的な知名度や学術的価値があっても、それを長期的に保存活用していく実質的な面倒を見続けるのは、その建築が建つ「地域」に他なりません。
だからこそ、その地域にとってどのような意味をもつ建築であるかも見なければならない、加えていえばその価値こそ重要である、そういう趣意として受け止めるものでした。
ただ、幸いに米子市公会堂はとても恵まれた存在で、市民としてここで暮らしていれば必ず1度はこのステージに立ったことがあるという思い出が凝縮されたのような存在といえる建築で…
図らずも市民団体の盛り上がりに助けられて、最終的には市長と市議の英断もあって保存に至っています。
先頃訪ねる機会があってしばらくぶりに見築してきましたが、この時も広場で夏祭りが催されていて、またこうして次世代に「思い出」が受け継がれていくのだなと思って感慨深く感じました。
千葉県立中央図書館は、既に十分ともいえる建築的な評価を受けていますが、
だからこそ、千葉県立文化会館・聖賢堂(さらには千葉市郷土博物館も含んで)からなる特徴的な文教都市景観である「千葉文化の森」が、その成り立ちから今日までにおいて千葉の地においてどのような役割を果たしてきたかの歴史を紐解き、
これをもって既に知られてきた建築的な評価と合わせて総合的に千葉県立中央図書館の歴史的・文化的な価値をまとめたいと考えています。
いささか長くなってしまいましたが、次の記事では 3.「プレグリッド・システム」の構造解析と耐震改修方法の検討 のことについて取り上げて述べたいと思います。
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