中銀カプセルタワービルを見築してメタボリズムの意義を考える
12月22日(日)に「中銀カプセルタワービル保存再生プロジェクト」の見学ツアーに申し込みをしてガイド付きで建物内の見学をさせていただいてきました(ありがとうございました!)。
後学のために単純に内部を見たかったというのが動機ですが、同じメタボリズムの事例になる中銀カプセルタワービルの保存活動についてのモチベーションや考え方を見聞したいという…千葉県立中央図書館の保存活用に絡ませてというのもありました。
ちなみにこの時の見学者は自身を含めて7名で男性3名女性4名、そのうち建築関係という方が4名。年齢的には若い方が多く、一番の年長者も自身だったと思われたのは意外でした。
内部に立ち入って、これまでは外部から見上げるしかできなかったカプセルの集合体に間近に迫り(埼玉県立近代美術館の建つ北浦和公園内に取り外されたカプセルがありますが単体の展示物に過ぎないので)、そこかしこに漂う生活感というものを感じてきました。
メンテナンスが難しいであったり、黒川紀章の提唱したメタボリズム(カプセル交換)を実際にやろうとすると上から外していかないといけないだとか、生活上の温熱環境は大変…という少なくない様々な「現実」を見聞きできましたが、高度経済成長期においてミニマムなライフスタイルを提案したというビジョンについては、大いに理に適っているところがあるのだろうと思いました。
住まいも職場も、加えて実家さえも千葉にある身だと、これが必要となる合理的な理由はないなというのも現実でしたが…それでも十分に魅力的なものと映るものでした(ちなみにここ1年半くらいの間はカプセルの売買が出来ないようになっているとか)。
千葉県立中央図書館も同じプレファブリケーションが根底にあり、新陳代謝のごとく増殖ないし減少に有機的に対応できるというシステムでは共通していて、さらに設備配管の入った箇所を現場打ちのRCとしているところも通底しています(カプセル内にも配管・配線が入るところは異なる)。
やはり同じメタボリズムの建築なのだなというところは大いに感じるところでしたが、千葉県立中央図書館はプレキャストコンクリートのパーツをプレストレスにて組み上げ、一方の中銀カプセルタワービルではカプセルとして完結している分、より工業製品的性格が強いという性格の違いを感じられるものでした。
それ以上に感じ取れたのは、坂本鹿名夫の考案した円形校舎との形状に見る共通性。
建築の姿形は明らかに異なるものですが、中央を螺旋階段にしてその四周に扇形教室が接続するという基本構成は同じ。
円環状の廊下がなく螺旋階段に直接カプセルが接続するので各フロアが明確でなく…これはソニービル(芦原義信)的な造りであることは異なりましたが、中銀カプセルタワービルがA棟・B棟とが並んで両棟が接続しているところも、円形校舎のうち眼鏡校舎といわれた2棟併設するタイプと通底する形状といえる。
「タワー」として高さが異なるのも銀座という高密な立地との差異として解釈すれば…さしずめ「ピクセルの粗い円形」というように見えるものでした。
中銀カプセルタワービルと円形校舎は、共に設計者の思想がダイレクトに形状として表象していて、一方でその形状が矛盾さを孕んでいる。
そのピュアさというべきか、現実との間でアンバランスさを持ちつつ建ち上がっている姿にある種の中毒性があるのかもしれない…というように思ったりしました。
中銀カプセルタワービルはカプセルが分譲、すなわちカプセルごとにオーナーがおられるシステムを採っています(ツアーを案内いただいた前田氏は15個も所有しておられるとか!)。
そのため管理などについて所有者にも主張する権利があり、存続を前向きに考えておられる所有者を増やすことで、もとい増えていることで、その分譲というシステムを逆手にとって保存再生を目指すという戦略をとっているらしいです。
どことなくブルジョワに対するプロレタリアートのような構図を思い浮かべてしまったのですが(社会主義や共産主義という思想があるとして見ているわけではありません)、これまでの歴史的建造物の保存再生の様々な取り組みから考えてみた場合、特異な方法を採っていることは間違いない。
何より所有者が自らの資産をもって獲得し、覚悟をもってこれに取り組んでおられることには大いに勇気づけられるところでありました。
そして、まだまだ勇気と覚悟が足らないよというように言われているような気にすら…どうあれ学ぶことの多い有意義な一時でした。
後学のために単純に内部を見たかったというのが動機ですが、同じメタボリズムの事例になる中銀カプセルタワービルの保存活動についてのモチベーションや考え方を見聞したいという…千葉県立中央図書館の保存活用に絡ませてというのもありました。
ちなみにこの時の見学者は自身を含めて7名で男性3名女性4名、そのうち建築関係という方が4名。年齢的には若い方が多く、一番の年長者も自身だったと思われたのは意外でした。
内部に立ち入って、これまでは外部から見上げるしかできなかったカプセルの集合体に間近に迫り(埼玉県立近代美術館の建つ北浦和公園内に取り外されたカプセルがありますが単体の展示物に過ぎないので)、そこかしこに漂う生活感というものを感じてきました。
メンテナンスが難しいであったり、黒川紀章の提唱したメタボリズム(カプセル交換)を実際にやろうとすると上から外していかないといけないだとか、生活上の温熱環境は大変…という少なくない様々な「現実」を見聞きできましたが、高度経済成長期においてミニマムなライフスタイルを提案したというビジョンについては、大いに理に適っているところがあるのだろうと思いました。
住まいも職場も、加えて実家さえも千葉にある身だと、これが必要となる合理的な理由はないなというのも現実でしたが…それでも十分に魅力的なものと映るものでした(ちなみにここ1年半くらいの間はカプセルの売買が出来ないようになっているとか)。
千葉県立中央図書館も同じプレファブリケーションが根底にあり、新陳代謝のごとく増殖ないし減少に有機的に対応できるというシステムでは共通していて、さらに設備配管の入った箇所を現場打ちのRCとしているところも通底しています(カプセル内にも配管・配線が入るところは異なる)。
やはり同じメタボリズムの建築なのだなというところは大いに感じるところでしたが、千葉県立中央図書館はプレキャストコンクリートのパーツをプレストレスにて組み上げ、一方の中銀カプセルタワービルではカプセルとして完結している分、より工業製品的性格が強いという性格の違いを感じられるものでした。
それ以上に感じ取れたのは、坂本鹿名夫の考案した円形校舎との形状に見る共通性。
建築の姿形は明らかに異なるものですが、中央を螺旋階段にしてその四周に扇形教室が接続するという基本構成は同じ。
円環状の廊下がなく螺旋階段に直接カプセルが接続するので各フロアが明確でなく…これはソニービル(芦原義信)的な造りであることは異なりましたが、中銀カプセルタワービルがA棟・B棟とが並んで両棟が接続しているところも、円形校舎のうち眼鏡校舎といわれた2棟併設するタイプと通底する形状といえる。
「タワー」として高さが異なるのも銀座という高密な立地との差異として解釈すれば…さしずめ「ピクセルの粗い円形」というように見えるものでした。
中銀カプセルタワービルと円形校舎は、共に設計者の思想がダイレクトに形状として表象していて、一方でその形状が矛盾さを孕んでいる。
そのピュアさというべきか、現実との間でアンバランスさを持ちつつ建ち上がっている姿にある種の中毒性があるのかもしれない…というように思ったりしました。
中銀カプセルタワービルはカプセルが分譲、すなわちカプセルごとにオーナーがおられるシステムを採っています(ツアーを案内いただいた前田氏は15個も所有しておられるとか!)。
そのため管理などについて所有者にも主張する権利があり、存続を前向きに考えておられる所有者を増やすことで、もとい増えていることで、その分譲というシステムを逆手にとって保存再生を目指すという戦略をとっているらしいです。
建築としては確かにメタボリズムを容易に実現することが困難な形状をしていますが、ユーザーというレベルにおいてはメタボリズムがなされ、「中銀カプセルタワービル」ならではといえるコミュニティが構築されつつあるということなのだろうなと思いました。
どことなくブルジョワに対するプロレタリアートのような構図を思い浮かべてしまったのですが(社会主義や共産主義という思想があるとして見ているわけではありません)、これまでの歴史的建造物の保存再生の様々な取り組みから考えてみた場合、特異な方法を採っていることは間違いない。
何より所有者が自らの資産をもって獲得し、覚悟をもってこれに取り組んでおられることには大いに勇気づけられるところでありました。
そして、まだまだ勇気と覚悟が足らないよというように言われているような気にすら…どうあれ学ぶことの多い有意義な一時でした。
コメント
コメントを投稿