千葉県文化会館の改修と聖賢堂の解体の方針について

千葉県立中央図書館の歴史的・文化的な価値は、建築そのものにも、特に構造家・木村俊彦氏が考案した「プレグリッド・システム」によるプレキャスト・プレストレストコンクリートを柱と格子梁組(床版)に用いて、これを平面構成の自由性、生産上の経済性や合理性を包括してシステムとして提案した建築技術上の高い価値を認められているところです。
そのことに加えて、建築家・大髙正人がメタボリズム・グループにおいて提唱した「群造形(グループフォーム)」という、その斬新さから世界的にも注目されたメタボリズムの理念を実践したものとして、その価値が知られてきました。

千葉県立中央図書館は1968年に完成しましたが、その前年の1967年には千葉県文化会館と聖賢堂が建てられています。
これら一連の建築を亥鼻山の丘陵に「エスプラナード」で一体的につなげて建てて「千葉文化の森」として計画したことが「群造形(グループフォーム)」の理念によるものであり、メタボリズムの理念が実践されていることも知られてきたものでした。

要するに千葉県立中央図書館は千葉県文化会館と聖賢堂と共に全体をもって「千葉文化の森」として評価すべき歴史的・文化的価値を持つといえます。

千葉県立中央図書館の先行きを懸念して保存活用のための活動に取り組んでいるワケですが、これにばかり注目していて思わぬところに綻びもありました。
新しい県立図書館の建設方針が公表されたのとほぼ同じタイミングで、千葉県文化会館の改修と聖賢堂の解体も発表されていたというものです。

これは千葉県文化会館の改修中は事務所等の一時移転先として聖賢堂を用いて改修完工の後に聖賢堂を取り壊すという計画だそうです。
聖賢堂は元々結婚式場として建てられました、実は1960年代には市民会館・県民会館に式場が併設されることが少なくありませんでした。
ですので、千葉だけの特殊なケースというわけではなかったのですが…今だと意外に思われるように式場としての役割とは違えて会議室として使用されています(数回企画しているワークショップもここの会議室で開催する予定です)。

当初の役割とも異なりますし、会議室の稼働率も決して高くはなさそうなので…解体の方針となったことは頷けます。
ただ‥「千葉文化の森」は、大髙正人氏が猪鼻山の敷地形状を活かして千葉県文化会館・聖賢堂・千葉県立中央図書館を一連の建築群として手掛けた背景がありますから、
やはり聖賢堂が失われることは前向きに捉えられないですし、さらに加えて千葉県立中央図書館まで失われるようなことになれば…そこに見られる「千葉文化の森」はもはや別の存在といえてしまう。

それでも千葉県文化会館を改修する方針とされたことは嬉しいことでもあって…心境は複雑ですね…

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